外構(エクステリア)デザインの考え方
前回の続きです。
塀や門をどうするか、という具体的な問題にぶつかりました。
ここでは、もう少し範囲を広げ、
塀や門、駐車スペースなど、道路と建物をつなぐ空間
(外構とかエクステリアとか前庭とか呼ばれます)のデザインについて
考えてみたいと思います。
「私」以外に思いをめぐらすことが必要になりますが、
ここで2つの視点があることに気が付きます。
ひとつは、街並み・景観への配慮。
もうひとつは、環境問題への配慮。
まず、美しい街並みとはどんなものか考えてみます。
これは人それぞれ違うはずです。
旅行で訪れた南フランスの街を思い出す人もいるかもしれません。
京都や鎌倉に残る路地を思い浮かべる人もいるでしょう。
あるいは、自分が生まれ育った場所の記憶。
僕の場合は、照葉樹の生垣に真夏の日差しが照り付けるシーンが浮かびます。
その名のごとく葉が光を反射して白く輝き、一方に濃い影が落ちている。
どこで見たのか、幼い頃の記憶です。
(いや、ほんとはテレビで見ただけかもしれません)。
美的感覚は人によって違う。
これを言い出したらキリがありません。
「オレはこれに美を感じる」と真っ赤な塀が立てられたとき、
それは美しくないと批判できる根拠を僕は持ちません。
ヨーロッパでは、素材・色などを統一し、
調和のとれた街並みを……、
という話も出ますが、それはそれとして保留にしておきます。
統一感ということで言えば、
山林や工場跡などに開発された住宅地などでは、
建物や外構、植栽に同一の素材が用いられている例もありますが、
何と言えばいいんでしょう、
根がついていないというか……。
人間の美意識によりどころを求めることはできないのではないか、
僕はそんなふうに考えています。
人の想像力は素晴らしいものである反面、
ときにゆがんだものも生み出します。
美しい街並みを考えるとき、
土地の気候風土という前提条件を外してはいけないのではないでしょうか。
たとえ、それがデザインを考えるうえで制約となり、
足かせになるとしても。
限定された条件を受け入れたうえで、想像力を働かせること。
生活空間における美が長い生命を持つためには、
このような考え方が必要だと考えます。
世界中の古い街並みが美しく感じられるのは、
創造にさまざまな制約が与えられていたからこそ、かもしれません。
材料の調達やかけられる労力など限界がある中で、
その土地固有の気候条件、たとえば暑さや寒さ、雨や風、
そういったものに適応できるよう知恵をしぼった結果が、
長い年月にわたって受け継がれる美を生んだのだと思います。
実際に外構・エクステリアと呼ばれる空間を
デザインすることを考えてみます。
建物との調和、ということを念頭に置くと、
外国から、石やレンガを輸入して使うとことが
正しいと判断されるかもしれない。
ヤシなどの南国の木がふさわしいと思うかもしれない。
モダンスタイルの住宅であれば、
コンクリート製品、アルミ製品を使うことが
機能と美を調和させる方法かもしれない。
けれど、「私」以外にも思いを広げれば別の選択肢が見えてくるはずです。
たとえば、その土地の近辺で産出される石を使う。
近くの山で切り出された木材を使う。
その土地に自生する植物を使う。 etc....
このような制約をあえて課したうえで、
種々雑多なスタイルが混在する住宅との調和を図りつつ、
街並みに自然発生的な統一感をもたらすことは可能なはずです。
(住宅建築をどうするかという話まではここでは踏み込みません)。
特に植物には、どんなスタイルをも包み込む懐の深さがあります。
さて、制約と言えば、
現代の私たちが避けて通れないのが、環境問題です。
限りある資源を大切に使わなければならないし、
再利用できるものはしていく必要があります。
エネルギー消費はできる限り抑え、
廃棄物は極力出さないよう配慮することが求められます。
これも前向きにとらえるしかないでしょう。
環境問題という制約を受け入れたうえで、何を生み出すか。
これはおもしろい作業でもあるはずです。
道路と建物をつなぐ空間をどうデザインするか。
景観に配慮し、環境問題に配慮する。
結局は、地面に根を下ろすところから始めなければならない。
そんな話です。
Kirikuiは、外構・エクステリアと呼ばれる空間も庭ととらえ、
「里山ガーデニング」のコンセプトのもと、
設計から施工、手入れまで行なっております。
こんな話もあります。
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Kirikui -里山ガーデニング-
人も、木も、草も、虫も、鳥も、みんな愉快になれる庭づくり
ウェブサイト http://www.kirikui.com/
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